青山学院大学 寄付講座

2011年4月20日

第1回「一冊の手帳で夢は必ずかなう」GMOインターネット株式会社 代表取締役会長兼社長・グループ代表 熊谷正寿

GMOインターネット青山学院大学寄付講座第1回は、本講座を寄付したGMOインターネットグループの代表、 熊谷正寿氏が講義を担当。熊谷氏が上場5社を含むグループ44社、2000名を超すスタッフを率いるまでになったきっかけは“一冊の手帳”だった。



“手帳とは、夢や人生をマネジメントするツールである”。そう信じて実践してきた熊谷氏は、手帳に書いた通りに夢を実現、35歳と40日で株式上場を達成した。 学歴も、お金も、コネもない若者でも、自らの夢を明確にし、1歩ずつ着実にこなしていけば必ず夢がかなうという熊谷社長の熱いメッセージに学生も真剣に耳を傾けていた。

5つの上場企業を核とするインターネット専業グループ

まず、私たちの会社を紹介します。
私たちは東証一部上場のGMOインターネット株式会社を中心とする上場企業5社および、その他事業会社44社によるインターネット専業グループで、 従業員数は現在約2300名になります。

5つの上場企業を核とするインターネット専業グループ

私たちの強みは、技術力です。
約300名のエンジニアのほか数百名のクリエーターやスペシャリストを社内に擁し、 私たちが提供するすべてのサービスをゼロから社内でつくりあげることを基本方針にしています。

私たちが提供するサービスで最もマーケットシェアが高いのが.comや.jpなどのドメイン事業で、 国内シェアの61.1%を占めて1位です。また、レンタルサーバー提供数は50万件以上に達し、 これも国内シェア35%で1位となっており、SSLというセキュリティ関連の事業ではシェア2位、欧州では成長率1位となっています。

オンラインショップ関連では、ショッピングカートの運営やインターネット上でのカード決済事業を展開。
インターネットメディアとしては、ブログやメーリングリストサービスのほか、SEOサービス事業を展開しています。 また、Yahoo!JAPANさんと共同出資して「JWord」という検索サービス事業も運営しています。>さらに、ネット証券事業であるGMOクリック証券ではFX(外国為替証拠金取引)の分野で取引高1位です。

現在、新規事業として、スマートフォン向けサービス「Gゲー」やクーポンサイト「くまポン」、ソーシャルアプリ事業などにも取り組み、 今後2~3年後を目標に売上高1000億円、当期純利益100億円をめざしています。

このように多くの事業分野で高いマーケットシェアを実現し、多くの方にサービスを提供しているGMOインターネットがどうやって生まれたか知りたいと思いませんか?  私が創業者ですが、これからの私の話を聞いたら、皆さんもきっと自分でもできると思うはずです。  先ほど、起業したいと考えているという方に手を挙げていただきましたが、先ほど手を挙げた方はもちろん、 手を挙げなかった人でも起業したいと思ってもらえると思います。

社会人、夫、父親、学生の一人四役。最もつらい時期を過ごした20歳前後。

社会人、夫、父親、学生の一人四役。最もつらい時期を過ごした20歳前後。

今から25~26年前、皆さんと同年代の頃、私は社会人、夫、父親、学生と一人四役をこなしていました。当時、私は高校を2年で中退し、その後事業家だった父の家業を手伝っていました。ですから一つ目の社会人という役割がありました。また、20歳で結婚したので夫であり、21歳で子どもが生まれたので父親でした。そして20歳前後になって高校を中退したことを後悔した私は、勉強できる場所を探し、その当時開校されたばかりの放送学園大学の特修生一期生となりました。なので学生でもありました。

ある時、夜の7時頃に仕事を終えて帰ろうとすると、父親に「なんでそんなに早く帰るんだ」と呼び止められました。「家には子どももいて、勉強もしたいので早く帰りたいんです」と答えたら、「ばかもん! おまえのような頭の悪い奴が、そんなに早く帰ってどうするんだ。一流大学を出た優秀な人たちでも毎日終電間際まで働いているんだぞ。嘘だと思うなら駅前の銀行まで行って見てこい」と叱責されました。

悔しかったので、夜遅くに駅前の都市銀行に行ってみると、本当に終電間際までオフィスに電気がついていてスーツを来た銀行員たちが働いていました。

それからというもの私は、朝早くから夜遅くまで必死に働くようになり、帰宅すると子どもをあやし、家族が寝静まってから勉強するようになりました。そんな毎日ですから時間もないし、給料も安くてお金もありませんでした。しかも、当時住んでいた江戸川橋の同潤会アパートは老朽化して部屋が傾いていたんです。

もちろん、学校を辞めたのも、父の会社に勤めたのも自分の意志でしたが、当時の私の心はひがみ、ねたみ、やっかみなど「み」のつく言葉でいっぱいでした。なんだか理想のイメージと違う、なんで自分の人生こうなんだろうと沈んだ気持ちで毎日を過ごしていました。

こんな当時の自分でしたが、ある時ふと手帳に「なりたい自分」「やりたいこと」をただ書き出してみたことから、その後の人生は大きく変わることになりました。
書くところから始めて、やったのは、たった3つ。皆さんでも絶対にできる「3つのアクション」です。

夢をかなえる3つのアクション

ACTION1 「やりたいことリスト」を作る

まず1つめのアクションは、「やりたいことリスト」の作成。当時、私は何となく手帳に「将来こうなりたい」という項目を書いたことがありました。書き上がったものを見ていたら、なぜか胸がスーと楽になったんです。そのことに味をしめて、「こんな家に住みたい」「こんな勉強がしたい」「こんなものを食べたい」「こんな車に乗りたい」など、目をとじるとイメージできるくらいまでありとあらゆる願望を細かく書き出してみました。

そうやってできたリストを眺めている時に、ある疑問が浮かんできました。それは、「自分がやりたいことはわかったけど、それでは人生の究極の目的って何だろう」ということです。
その時、心に浮かんだのが「幸せ」と「成功」というキーワードで、これこそが自分の人生の究極の目標だと気付きました。そして、この一生涯の目的がブレないように定義を決めました。

私にとっての幸せとは、心が平和なこと。目標を達成した時の喜び。
成功とは物心ともに豊かで、自分だけはなく、周りの人のためになりながら、自分の思った通りの人生を全うすること。

私の周りには、家族も、両親も、多くの友人もいましたので、一人だけ幸せになってもしょうがないわけです。かかわる人がみんなハッピーになってほしいという気持ちがこの定義には込められています。

ACTION2 「夢・人生ピラミッド」を作る

「夢・人生ピラミッド」を作る

2つめのアクションとして、「夢・人生ピラミッド」を作りました。これは、大きな紙にピラミッド型の図形を描いて、その中を3段6つ(下段:知識・教養/健康/心・精神、中段: 中段:プライベート・家庭/社会生活・仕事、上段:経済・モノ・お金、)に分けて、「やりたいことリスト」の項目を転記していくんです。

このピラミッドに「やりたいことリスト」を転記していくと、おそらく多くの方が上の段ばかりが増えて、下の段はスカスカになると思います。それではダメで、ここで重要なのは、私が基礎レベルと呼ぶ下段の3つが充実していることです。そうすると、家庭生活や社会生活での成功や幸せを実現できますし、その上のお金やモノは結果として自然についてくるんです。つまり成功には全人、つまりバランスのとれた人格が必要だと言えます。

さて、ここまでできれば、皆さんの夢は70%くらいまでかなったのも同然です。

ACTION3 「未来年表」を作る

次に作ったのが、「未来年表」です。通常、年表とは過去のことですが、当時私が作ったのは、20歳から35歳までの将来に向けた15年間の年表でした。

やり方は超簡単です。ピラミッドの6つの分野で明確になった目標をいつまでに達成するか未来年表に転記し、年表の一番左の欄に、今の自分の状態を正直に書き出していきます。つまり、夢と現状を対比させるんです。そうすると、その数年後の大きな夢に向けて今の自分がやらなければいけない計画が1年単位ではっきりします。この作業を続けていくと、自分が夢を実現するために実践すべきことが整理でき、優先順位をつけることができるんです。

私は、こうした3つのアクションを通じて夢を明確にしてきたからこそ、今の自分があるんだと思っています。

当時、手帳に書かれた一文が、GMOインターネット設立の原点

こうした夢づくりの作業の中で、手帳に記したGMOインターネット設立のベースになった一文を紹介します。それは非常に恥ずかしいのですが、「何かの分野で、日本で一番の青年実業家になりたい」というものです。

ただ、この“何かの分野で一番”とはどういうことか、書いた後に自分なりに深く考えたことを覚えています。それは、何かの分野で一番多くのお客様に笑顔になってもらい、その仕事を通じて社会に貢献し、自分たちが生きた証を社会に残しておくことだと言えます。しかし気をつけなければいけないのは、会社は倒産したら悲惨で、多くの人の命さえも失いかねません。ですから、業種・業界にこだわらず一番になることが大事ですし、一番にならない事業は最初から手がけないほうがよいのではと考えるようになりました。

人生で一番大事なことは、自分の夢をはっきりさせること

人生で一番大事なことは、自分の夢をはっきりさせることです。誰にも寿命があり、生きている時間は有限なのです。だから私たちが考えなければいけないのは何をやりたいかはっきりさせること、この1点に尽きると思います。もし、その夢が多くの方を笑顔にできるものならば、その夢は実現すると思います。

人生で一番大事なことは、自分の夢をはっきりさせること

特に、事業家をめざす場合は、人生を捧げてもいいと思える明確な夢を持つことが何よりも重要です。次に、その夢に賛同して集まった仲間たちに向けて宝の山をどこにあるかビジョンを指し示すことがトップに立つ人間には必要とされます。

会社はお金儲けの道具ではありません。創業当時はそういった考えもモチベーションの一つとして持っててもいいかもしれませんが、ずっとそのままでは必ず会社は立ちいかなくなります。仲間のために、社会のためにという方向に変換していかなくては誰もついてきません。

つまり何のために会社が存在しているかというフィロソフィーを明確にし、かかわる仲間が同じ方向に動けるように、基本行動、原理原則、経営マインドをきちんと提示する。そして、最終的に勝つための戦略である現在と夢の間を埋める手法を指し示し、くり返し、くり返し、くり返し、話し続け「イズム」と言われるまで昇華させることです。これが、経営で最も大事なことだと言えます。

GMOインターネットでは、そうした考え方をベースにした「夢・ビジョン・フィロソフィー」からなる「スピリットベンチャー宣言」を作成しています。さらに、グループ会社の社員全員の6穴手帳にこの「夢・ビジョン・フィロソフィー」が書かれたリフィルを入れてもらい、毎日のミーティングの時などに読んで共有しています。
http://www.gmo.jp/company-profile/concept/sv/

「未来年表」のほぼ計画通り、36歳の時に株式上場を実現

私は、「未来年表」の35歳のところに株式上場すると書きました。そして信じられないかもしれませんが、35歳よりわずかに遅れて、36歳になって40日目に1999年8月27日にジャスダック市場への株式上場を果たすことができました。その当時今のように新興市場がありませんでしたから、株式を上場する会社は100万社で1.7社しかない時代でした。

私みたいな高校中退で、傾いたアパートに住み、コネもお金もない人間でも、夢を明確にし、それを信じて努力していけば、100万分の1.7という奇跡に近いような確率の株式市場上場だってできるんです。その後、私たちの会社は、2004年に東証二部、2005年には東証一部に上場しました。

自分の夢を手帳に書いて、常に持ち歩き確認する。そして仲間に向けて自分の夢はこうだと見せて熱く語る。そうすることで夢に賛同する仲間が増え、夢に近づいていきます。コツコツと誠実に確実に実行することで必ず夢は実現するんです。

最後に、私の座右の銘を皆さんにプレゼントしますので、ぜひ心に留めてもらえばと思います。

夢あるところに行動がある。行動は習慣をつくり、習慣は人格をつくり、人格は運命をつくる。

PROFILE

熊谷 正寿

熊谷 正寿
1963年、長野県生まれ。
GMOインターネット株式会社 代表取締役会長兼社長・グループ代表

東証一部上場企業グループのGMOインターネットグループを率いる。「すべての人にインターネット」を合言葉に日本を代表する総合インターネットグループを目指し、WEBインフラ・EC事業、インターネットメディア事業、インターネット証券事業、ソーシャル・スマートフォン関連事業を展開。グループは上場5社やGMOクリック証券などを含む44社、スタッフは2,300名を超す。 主な受賞歴に、2000年日経ベンチャー「99年ベンチャーオブザイヤー」(新規公開部門2位)、2004年企業家ネットワーク「第六回企業家賞・ネットインフラ構築賞」、2005年米国ニューズウィーク社「Super CEOs(世界の革新的な経営者10人)」等がある。著書に「一冊の手帳で夢は必ずかなう(かんき出版)」、「20歳ではじめる「夢設計図」(大和書房)」など。


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